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【しほ】天の原 ふりさけ見れば 春日なる

三笠の山に 出でし月かも

 

さて、前回のゆりさんのブログから始まりました百人一首や短歌、詩をもとにエピソードや解釈を加えるという企画。

難しいテーマではありますが、何とか読者の方に伝われば良いなという気持ちで書こうと思います。

 

ブログ名も「しんぶんがかり」に変更になりました。

これは、2人とも小学生時代に新聞係だったという共通点があったのでこの名前になりました。

どこかの音楽アーティストのパクリ、、、ではないということにしておきます。(笑)

 

冒頭で紹介した百人一首ですが、一番思い入れのある首です。

 

■歌と歌人

(7番)「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」

安倍仲麿(698年頃~770年頃)

 

■現代語訳

天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。

 

■解釈

安倍仲麿は19歳のころ遣唐使として唐に渡った留学生の一人。あまりに秀才で気に入られたため、日本に帰ることを許してもらえませんでした。
30年を経てようやく帰国を許され、送別の宴が催された時に詠まれたのが、この歌でした。

残念ながら船は難破し、日本に帰ることはできませんでした。72歳で生涯を閉じるまでは中国で暮らしました。

三笠山春日大社の後方にある標高283mの山。

 

仲麿は中国で月を見ながら、奈良で見たあの月と同じだと、故郷を懐かしんだとのことです。

 

私がふとこの歌を思い出したのは、大学2年生のころにカナダで月を見たときでした。

当時19歳。なぜか「海外を知らないまま20歳(大人)になりたくない」という気持ちで(半ば思いつきで)、一人でカナダへ行くことになりました。

両親からは何も計画性がないのに高いお金を出していくのはやめろと猛反対されました。それでも後悔したくないという気持ちが勝り、何とか説得して向かうことになりました。ですが、1人で飛行機に乗った瞬間に涙が出てきました。「何で行くって言ったんやろう」と、日本列島が小さくなっていくのを見ながら早くもホームシックになったのを覚えています。

ホームステイ先ではフィリピン人の家族が迎え入れてくれました。私は直前までどんな家族か知らされておらず、てっきりカナダ人の家族だと思い込んでいたので、アジア人が玄関に来たとき、ふと日本にいた時に見たネットの記事を思い出しました。

「アジア人家族にお金を掏られました」

何度かこの類の記事を見たので、「あ、お金盗られるんだ」と勝手に身の危険を感じました。冷蔵庫には「学生を受け入れるときの報酬金」が書かれた表が貼られており、不信感は募るばかり(別になんてことはないのに)。おまけに喋り慣れていない英語での会話。着いた瞬間から疲れが爆発しそうでした。

「帰りたい」。

色んなことが初めてで、安心できる場所がなく、ただただ不安でした。

 

でも、家族は私が思っていたのとは正反対で、すごく良くしてくれました。ご飯も美味しくて、毎日3杯はおかわりしていました。ドライヤーを忘れた私に、もともと使っていたものを貸してくれ、家族は新しいものを買うからと言ってくれました。。日本で私の祖母が「1人でカナダに行って、、、」と心配で泣いていると聞き、そのことをホストファミリーに伝えると、一緒に泣いてくれたりもしました。

学校にも行きはじめ、カナダでの生活にも慣れてきたころ、帰り道に空を見上げました。小さな月でしたが、その時にこの歌を思い出しました。

「日本のみんなと同じ月を見ているんだな。どこにいても繋がってるんだな。よし、私はこっちで頑張ろう」

そんな気持ちにさせてくれました。

 

社会人になって忙しなく働いていても、月を見るとなぜか安心して、落ち着けます。

こんなことを書いていると、9月の十五夜にお月見をしたくなってきました。幼稚園以来です。今年は9月15日(日)だそうですね。

ぜひみんなでお月見をして、同じ月を同じ瞬間に見てみたいものですね。

【ゆり】かささぎの 渡せる橋におくしもの

しろきをみれば 夜ぞふけにける

 

 

このブログは文章練習ブログですが、気の向くままに日々の想いを書くのも良いけれど、ちょっとテーマを決めて書いてみるのも楽しいのでは。とのことで、チャレンジしてみます。

百人一首をメインに、その他の詩、短歌などをテーマにしてつららと書いてみる。今日のテーマに選んでみたのが冒頭の一首です。梅雨明けしてそろそろ夏本番といったところですが、一気に冬の歌をもってきました。ちょっと冬の情景に想いを馳せて、キリッとした空気の冷たさを感じるのはどうでしょうか。

 

とはいえ私、読書感想文がむちゃくちゃに嫌いだったので、こういうの苦手なんですよね・・・。まあそこも練習と思って、つべこべ言わずいってみましょう。

 

■歌と歌人

六番「かささぎの 渡せる橋におくしもの しろきをみれば 夜ぞふけにける」

中納言家持(718年頃〜785年頃)

 

■現代語訳

『冬の夜空にこうこうと輝く天の川の、鵲(かささぎ)が翼をつらねて渡したという橋に、あたかも霜が置いたように白く見えているのを見ると、天上の夜もすっかり更けたことだなあ。』

−『新版百人一首』島津忠夫 より

 

 

 

(・・・はて?)

 

私が小学生のとき少し覚えて、今でも覚えている数少ない歌のうちの一つです。

当時はかささぎというのが鳥であることはイメージできていたものの、それ以外はなんとなくです。「鳥、かわいいんだろうなあ」くらいのテンションでこの歌を覚えることにしたような記憶があります。

 

−ココカラ 小学生私の解釈イメージ

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真っ暗な夜、夜空には星が輝き橋には白くまぶしい霜が積もっている。

真っ白なかささぎが、橋を渡るのは今かと大きな羽を広げようとしている。大きな羽を広げ羽ばたき、橋を渡りきる頃には夜もずいぶん更けているだろう。

−小学生私の解釈イメージ終わり

 

・・・それっぽくないですか?

という冗談は置いといて。

どうやら、小学生私イメージとは似て非なるものだったようですね。(似てもなく単純に非なるものだね)

 

■現代語訳の意味

現代語訳の意味ってなんか変だな。でも、そのままではよく分かりませんね。

 

(現代語訳

『冬の夜空にこうこうと輝く天の川の、鵲(かささぎ)が翼をつらねて渡したという橋に、あたかも霜が置いたように白く見えているのを見ると、天上の夜もすっかり更けたことだなあ。』 )

 

鵲(かささぎ)が翼をつらねて渡したという橋」

七夕の夜、織姫に川を渡らせるため、かささぎたちが天の川に翼をひろげて橋を作ったという伝説上のお話があるのだそう。

 

「あたかも霜が置いたように白く見えているのをみると」

霜は、天の川に散らばる星の例えだそうです。

 

冬の夜空を見上げて、空に白く輝く天の川を眺め、ああ、冬の夜も更けていくなぁと感じ入ったものを歌ったものであるようです。

 

■こういうときに読みたい

晴れた日の冬の夜空を眺めていると、空気の冷たさと同時に視界が澄んでいるように感じられます。私自身、星を眺めるのは好きで星がよく見えるところではつい立ち止まって空を見上げます。

星空を眺めていると、星空をテーマにした曲が聴きたくなります。

BUMPの『天体観測』『プラネタリウム』や、ELLEの『スターフィッシュ』、化物語主題歌の『君の知らない物語』とかね。いいよね。

 

だけど、ちょっといつもとは趣向を変えて、冬の星空を眺めながら1300年前に作られた歌を思い出すのもいいかもしれませんね。

 

 

(おわり)

 

※そういえば鵲(かささぎ)は、カラスの一種で、小学生私イメージの真っ白な鳥ではありません。笑


こんなの

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【しほ】あなたにとって「仕事」とは?

 仕事をしている社会人のみなさま。就職活動をしているみなさま。あなたにとって「仕事」とは何ですか?

私は現在、職業紹介の仕事をしています。求職者の方に仕事を紹介するだけではなく、一緒に面接に行き、その方が仕事に就いた後も一緒に、働くことについて考えています。

最近では、私の会社を受けている大学4年生のリクルーターとして面談をし、職業選択のお手伝いをしています。また、妹が就活生ということもあり、妹とも「働く」について考えることが多くなりました。

仕事に対する価値観は本当に様々で、それぞれが仕事に対して求めるものも、当たり前ですが違います。

 

インターネットで「仕事とは」と調べると、以下のように出てきました。

仕事(しごと)とは - コトバンク

 

何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。
生計を立てる手段として従事する事柄。職業。
したこと。行動の結果。業績。

・・・

 

解釈がたくさんありました。私が上記の活動をする中で出会った仕事に対する価値観は「お金がほしいから」「楽そうだから」「親がそう言ったから」「自分の能力を発揮したいから」「世の中を変えたいから」「成長したいから」「安定しているから」など、、、特に学生に多いと感じるのは、プライドや、親や世間の目を気にして「大企業への就職を希望しています」という理由。

私が仕事を選択する時のことを思い出すと、何を軸とするか?という問いに、かなりの時間を割いて考えていました。

行きついた答えは、「生きた証を残すための手段」ということでした。かなり大げさかもしれませんが、本気でそう思っていました。(今も思っています笑)

人材業界を選んだのは、ほとんどの人が人生の大半を占める仕事を一緒に選択し、一緒に乗り越えていくことができるから。その人の人生を一緒に歩み、一緒に課題を解決していく、、、そんなところに魅力を感じたからでした。(今はその責任の重さを実感しています。たまに押しつぶされそうになります笑)

 

私が1年目の時に読んだ「プロ論」という本では、それぞれの業界におけるプロフェッショナルが仕事について語っています。

プロ論。 | B-ing編集部 | 本 | Amazon.co.jp

 

印象的だったのは、陸上の為末大選手の言葉。

やりたくないことをやってお金持ちになるより、私はお金がなくてもやりたいことをやりたかった。死ぬときに、「これをやり抜いた」と胸を張りたいと思った。 

 

 そして、映画「モリー先生との火曜日」での、モリー先生の名言にも心打たれました。

死に方が分かれば、生き方が分かる。 

 

私にとっても仕事は人生の大半を占めるであろうもの。だからこそ全力で、生きた証を残すために、後悔のないように仕事と向き合っていきたいと感じています。

私がここで伝えたかったのは、職業選択においてこそ、自分自身に何度も問い、自分自身がワクワクする道を、覚悟を持って決断すべきだということです。

 

1人でも多くの人が胸を張って「これだ」と思う仕事に臨んでほしい。

他の誰が決めるでもない。自分の道を。

【ゆり】「何を書きたいの?」と聞かれて即答できなかった話

ライターのみなさん、ライターを目指しているみなさん。

「何を書きたいの?」と聞かれて即答できますか。

 

モノカキになりたいと言いながら書きたいことがないって何、と言われそうですが意外といるのではないかと思います。

かく言う私もこれを問われたとき、情けないながら即答できませんでした。

まあ元々、なんとなく書くことがすきだったかもしれない・・・で受講し始めた講座ですから、無理もないといえばそうかもしれません。

 

『編集会議』2016年春号で青山ゆみこ氏がこのようなことを書いておられる。

 

(以下引用)

 何も伝えたいことがないけれど、書く仕事がしたいという人から相談を受けることがあります。そんなときは、まず「なぜ自分は書きたいのか」と、自分にインタビューするように勧めています。「なぜ」がない人は何も書けません。文章も誌面づくりも、「問いを立てる」ことが最初の第一歩です。 

・・・

 たとえば、カフェでお茶を飲んでいるときにも、「赤い服の人が多いな」「なぜこのカップは黄色いのだろう」なんてことを気にして、考えてみる。普段からそういう癖をつけていると、編集のアイデアや文章を書くための言葉がいつの間にか引き出しに貯まっていきます。本を読むときもそうで、あるフレーズが響いたら、どうしてそんな気持ちになったのかと流さずに考えてみる。

(引用終わり)

 

そういえば講座でも、「問いを立てる」ことの重要性を何度も何度もお話されていたなぁ。(その頃はまだ入会していなかったので、ビデオ補講で・・・)

 

一方で、こんな記事を書けるようになりたい。と思うものに出会うことは多々あります。

これはぜひみなさんに読んでほしい。プレスラボの小川たまか氏の文章。

note.mu

どうしてもポジティブになれなくて、明日もどうせ辛いことが待っていて、次の休みまで私に自分の時間はやってこない、そんなふうに毎日暗かった日々って誰でもありますよね。そんなときこの文章を読むと癒される。なんなら少しお酒が入っている日に読み返して泣けてしまいます。

 

そしてなんだか、いつか元気になれるんじゃないかと思わせてくれる。

 

小川氏も自分の中に起こった気持ちについて、なぜそう思ったかという問いを立て、深く考えることでこのような文章が書けるのでしょう。

まずは自分の中に起こった感情について深く考えてみること。それが意外にもその文章を読んだ人たちを少しだけ動かせたり、少しだけ元気を与えることができるのかもしれない。

 

 また、この先は今までの話とは全く関係なく記事の種類もがらっと変わるけれど、こういうものにも心動かされます。

toyokeizai.net

・・・ぜんぜんジャンル違う!とツッコミが聞こえてきそうですね。

東洋経済の記事、好きなんですよ。

この女性は特殊なケースである可能性は高いですが、世の中で埋もれている驚愕的な現実を丁寧にひろって一人の人にフォーカスして書く。書くことでその存在を世間に知らせ、その人の周りが少しでも動いたら。

大きな事件ではないけれど、でも誰かが拾わないと誰も分からない、そういう出来事を拾える記事に憧れる。そういうジャーナリズム性のある記事も好きですし、書けたらなーと思います。

 

未だに何と説明すればいいかわからないけど、たぶん人の心に深く潜ることが書きたくて、潜って書いた先に読む人を少しだけ動かせる、そんなのってすてきですよね。

 

なんか今日のはあんまり考えられてないことがばれそうな記事だな。笑

今日のところはこのへんにしておきます。

【しほ】自己紹介②

最近は雨が続いていますね。通勤中に水たまりを飛び越えようとして大きくジャンプしたら見事にハマり、泥が飛び散ってきました。白のパンツが台無しでした。早く梅雨明けてほしいですね。。。

 

2回目のブログです。

私は普段から人のブログを頻繁に見たりするタイプではないので何が正解か分からないまま手探りで書いています。日々勉強なので私の成長を暖かく見守って頂けますと幸いです。。。(笑)

 

さて自己紹介第二弾!

今回は「今までの人生における1番のターニングポイント」のお話です。いわゆるどん底(当時は自分では思っていなかったですが)の時です。あまり人に言いたくないですが、書きます。(笑)

 

まだまだ短い人生ですが、あの時がなかったら今の自分とは全く違う人生を送ることになっていただろうと思う出来事があります。

 

私は小さいころ、勉強が大嫌いでした。「何で勉強せなあかんねん。将来何の役に立つねん。。。」ありきたりな理由ですが、勉強のできる姉やお父さんとは違い、家族では「あほ」レッテルを貼られていました。勉強が嫌い→勉強しない→成績が悪い→余計に勉強が嫌いになる、、、と無限のループにはまっていました。

 

中学生になり、その気持ちはどんどん加速していきます。1年生のころに仲が良かった5人で、授業中に抜け出したり、トイレでお菓子を食べたり(かなり汚いですね)、隣の教室に迷惑がかかるレベルで騒がしくしていました。

中学生にもなって教室で立たされたり、生徒指導室に呼び出されて怒られたりしました。

反面、バレーボールが好きだったので部活はかなり真面目に取り組んでいました。むしろ部活さえ行っていれば良いと思っていました。

先生からは2つ上の姉と比べて「姉ちゃんは優秀やのになあ」「姉ちゃんはそんなことしなかったのに」などと言われていました。

今振り返ると笑い話ですが、親は相当心配していただろうと思います。。。自分の子どもには絶対こうなってほしくないです。(笑)

 

家では姉から毎日毎日勉強しろと言われ、拒否するというやり取りが日常茶飯事でした。

 

個人懇談では担任に、「このままでは高校に行けません」と言われる始末。担任はかなり大げさな人で、当時の偏差値で入れる高校はもちろんありましたが、母親は頭を抱えていました。当の本人は「そんなん言うけど別に高校いけるやろ。大丈夫やろ」くらいにしか思っていませんでした。

 

1年生の終わり。姉が高校受験で志望校を決める時期になっていました。第一志望の高校はギリギリのラインという判定。それまでのテストではA判定だったのに、最後のテストが悪かったことで判定が下がっていました。姉は迷った末、長女ということもあり安全策を取りました。志望校を一つ落としたのです。

それまで確実に合格すると誰もが言っていたのに。たった1回のテストが悪かっただけなのに。あれだけ毎日頑張っていたのに、、、

 

私はそんな姉の姿を見て気付きます。「それまでどんなに頑張っていたとしても関係ない、結果がすべてである。でも自分が望む結果に辿り着くためには、努力が必要不可欠である」。

努力して厳しい結果となった姉。何も努力していない自分。

じゃあ何も努力してない自分はどうなるんだろう、と。

 

そこで我に返ります。「じゃあ自分は、努力したらどうなるんだろう」。その状態の自分には、「勉強しろ」という姉の言葉が深く刺さります。真剣に相手の話も聞けます。そしてある思いに辿り着きます。「今まで自分をあほ呼ばわりしていた人を見返してやる」。

2年生の始めのころから、定期テストを真剣に取り組めるようになりました。今まで何もしていなかったので、かなり時間をかけて1日10時間、机に向かいました。テストでは平均90点以上を継続して取れるようになりました。(それまでは平均60点ほどでした)

 

景色が確実に変わりました。今まで勉強とは無縁だったのに、周りに教える立場になりました。先生も「あのやんちゃだったヤツが、、、」と言ってくれました。仲良くする友達の幅が広がり、色んな価値観の人と話せるようになりました。授業を受ける態度も変わりました。

もう誰も、"あほ"呼ばわりする人はいなくなりました。

 

あの時あのままで何も変わろうとしない自分だったら、今仕事もしてなかったんじゃないかと思うほどです。

当然、講座なんて通うことはなかったと思います。全く別の人生を送っていたでしょう。

 

あの時、やらされ感ではなくて、自分でやろうと決めて行動できたことが良かったんじゃないかと感じています。

これからも当時の気持ちを思い出して、努力を忘れず自分の道を自分で切り拓いていこうと思います。

 

まずは次のステップに向けて、やるのみです。

【ゆり】なぜ、「書くこと」か?

ゆりです。

本来は文章の練習+読まれる記事を書きたいですが、最初なのでちょっと自分の頭の整理に使わせてもらいます。自分語りします。

 

しほちゃんの記事でもありましたが、私たちは株式会社宣伝会議の主催する「編集・ライター養成講座」で出会い、このブログを始めることにしました。

この講座は毎週土曜2時間×2コマ、半年間で受講料17万の講座で、文章の書き方に特化するというよりは企画の立て方〜雑誌の作り方〜写真の取り方まで、「編集・ライティング」に関することを総合的に学ぶ講座です。

 

とはいえ、17万です。

割と、本気です。

 

私は途中から講座を受講し始めたのですが、それが今年の1月の終わりでした。

その頃仕事(システムエンジニアをやってます)が鬼忙しく、心身ともに疲弊しきっていた私。深夜2時とか3時まで働いているのが週2、3回あったり、土日もプライベートの予定の合間をぬって会社にいくとか、頭のおかしなことをしていました。

そのうち朝起きれなくなってきて、起きても会社に行けなくなってきて、10時とか11時くらいまで家でごろごろして、やっと会社に行く・・・みたいなことになってきて。

 

そのあたりで同僚やGLに「ちょっとおまえそろそろやばいんじゃない」と言われたりしてました。

もしかしたらやばかったのかもしれません。でも人って自分の身に起こっている危険を過小評価しがちです。私の場合は殊にそれが強かったかもしれない。

仕事量が多いから時間がなくて、時間がないからクオリティに影響が出て、何か言われれば自分を責めて、の悪循環だったように思います。

 

そんな日々を過ごしていて、思いました。

「逃げたい」

もう全力でこの環境から逃げたい。笑

 

(このあたりで考えた「働き方」や「女性のキャリア」、「仕事で病まないためには?」とかは追い追い書けたらいいなー。)

 

その頃たまたま他のブログ記事で目にしたのが「編集・ライター養成講座」でした。

 

なんかそういえば昔から、書くことは好きだったかもしれない。

ライターって副業でもできそうだし、よさそう。

フリーライターって自分の裁量で仕事ができそう。2時3時まで誰かに働かされることってなさそう。

今の環境から逃げるための活路を見いだすことができるかもしれない。

まあとりあえずこの灰色の日々に気分転換を・・・!笑

 

このぐらいの動機で飛び込みました。

 あ、あと中川淳一郎氏のファンで、中川先生が講師として来られるとのことなので、これが決め手でしたね。

 

・・・ここからは前のしほちゃんの記事に乗っかる感じになります。笑

 

じゃあなぜ、「書くこと」か?

 

なんで私は「書くことが好きだったかもしれない」と思ったのだろう。書くことを仕事にしたいと言いつつ、もやっとしているので考えてみました。

 

小学生のとき「作文」が好きでした。(読書感想文はなぜかすごく嫌いだったけど)

小学校二年生くらいの頃だったかな。宿題として出されていたわけでもないのに、勝手に原稿用紙に作文を書いて、先生に見てもらったりしていました。(意識高い系小学生か?)

内容は家でお手伝いでやっていたお風呂掃除の仕方とか。笑

 

それが「書くこと」の最初の記憶でしょうか。

 

その後「新聞係」になって、学級新聞みたいなのを書いていました。

そのときは小学生ながらにネタを見つけて、「先生が地震のときのために、テレビを固定するベルトを買ってつけてくれました!」とか、クラス内でアンケートをとって「クラスでお兄ちゃんにしたい人/お姉ちゃんにしたい人ランキング」とか作っていました。

今思ったら小学生ながらに企画をやっていたのかもしれませんね。笑

これが職員室で評判だ、と言われて嬉しかったことを覚えています。

 

 読むことも同じくらい好きです。

やはり最初に触れる心動かされる読書体験は、私も教科書です。

国語の教科書と、道徳の教科書(いろんなお話が載っていましたよね)は、学年が始まって新しいものをもらったら、まず家でずっと読んでいました。

谷川俊太郎の『春に』、私も大好きです。

 

あとは、芥川龍之介の『羅生門』。

月並みかもしれませんが最後の一文

「下人の行方は、誰も知らない。」

の読後感。あれには本当に衝撃を受けた記憶があります。授業中に泣きそうになりました。

 

それ以外にも芥川を読み始めて、『杜子春』や『藪の中』などの、人間くささがこれでもかと表現された作品がとても好きです。

 

書くこと、に戻りますが、今まで特に書くことに深く関わってきたわけではありません。

やっていたのは大学時代、mixi日記を毎日更新していたことくらい。

それでも、それがおもしろいといって毎日楽しみにしているよ、と言ってくれた友達のことばが忘れられません。

おそらくこれが大きいような気がします。

人の反応が嬉しくて、書いている節があるかもしれませんね。

それでいいのか・・・?は分かりませんが。

 

とりとめなくまとまりもなく2000字も書いてしまいましたが、一旦このへんでとりあえず終わっておこうと思います。笑

 

 

 

 

 

【しほ】自己紹介①

はじめまして。しほです。

先日まで半年間、編集ライター養成講座に通っていて、

そこでゆりさんと知り合い、ブログ開設に至りました。

 

講座が終わってしまったのですが、

今の仕事を続け、

いずれライターとして働くことを目標としているので

練習も兼ねて、このブログを書いていこうと思います!

 

さて自己紹介についてですが、

いわゆる普通の(生年月日、血液型など)ものではなく、

講座で山田ズーニー先生から習ったように

自分自身の奥底から湧き出るもの、

今の自分を形成しているものを中心に

お話できたらと思います。

 

今回はライターを目指した最初のキッカケになる部分のお話です。

 

 

私は昔から文章を書くことが好きでした。

文章というよりも、詩や短歌が好きでした。

それは小学校時代に金子みすゞさんの

「わたしと小鳥と鈴と」を教科書で読んだ時に遡ります。

内容にももちろん惹かれましたが

言葉のリズムが心地よくて、何度も何度も読み返しました。

 

それから谷川俊太郎さんの「春に」という詩にも出会い

詩の魅力にどんどん引き込まれました。

 

小学校5年生のころに学年で百人一首大会があり

それに向けて練習をしていたのですが

言葉のリズムに囲まれて、それが百首もあって

私にとっては最高の空間でした。

だから誰にも負けたくありませんでした。

大会では1人で51枚を獲得し、優勝してしまうほど好きでした。(笑)

ちなみに私が好きな首は、持統天皇の詩です。

 

「春すぎて 夏来にけらし 白妙の

          衣ほすてふ 天の香具山」

 

内容よりも、限られた文字数の中で使われる言葉のチョイス。

自分の言いたいことすべてを文字にすることができない中で

自分の思いを最大限に伝えるために選ばれた言葉たち、

頭を抱えて、やっとの思いで絞りだした言葉たちが

とても美しいと思いました。

 

百人一首を勉強する中で気付いたのは

どんなことを伝えたかったのかを知ること

どんな解釈ができるのかを考えること

そして書いた人の渾身の思いを紐解くことができる、

そんなところにも魅力を感じ始めました。

 

このブログを書くにあたり

なぜ自分がライターを志したのか考えている中で

やっと気がつきました。

 

私の原点は、短歌や詩にありました。