【しほ】天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも
さて、前回のゆりさんのブログから始まりました百人一首や短歌、詩をもとにエピソードや解釈を加えるという企画。
難しいテーマではありますが、何とか読者の方に伝われば良いなという気持ちで書こうと思います。
ブログ名も「しんぶんがかり」に変更になりました。
これは、2人とも小学生時代に新聞係だったという共通点があったのでこの名前になりました。
どこかの音楽アーティストのパクリ、、、ではないということにしておきます。(笑)
冒頭で紹介した百人一首ですが、一番思い入れのある首です。
■歌と歌人
(7番)「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
安倍仲麿(698年頃~770年頃)
■現代語訳
天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。
■解釈
安倍仲麿は19歳のころ遣唐使として唐に渡った留学生の一人。あまりに秀才で気に入られたため、日本に帰ることを許してもらえませんでした。
30年を経てようやく帰国を許され、送別の宴が催された時に詠まれたのが、この歌でした。
残念ながら船は難破し、日本に帰ることはできませんでした。72歳で生涯を閉じるまでは中国で暮らしました。
仲麿は中国で月を見ながら、奈良で見たあの月と同じだと、故郷を懐かしんだとのことです。
私がふとこの歌を思い出したのは、大学2年生のころにカナダで月を見たときでした。
当時19歳。なぜか「海外を知らないまま20歳(大人)になりたくない」という気持ちで(半ば思いつきで)、一人でカナダへ行くことになりました。
両親からは何も計画性がないのに高いお金を出していくのはやめろと猛反対されました。それでも後悔したくないという気持ちが勝り、何とか説得して向かうことになりました。ですが、1人で飛行機に乗った瞬間に涙が出てきました。「何で行くって言ったんやろう」と、日本列島が小さくなっていくのを見ながら早くもホームシックになったのを覚えています。
ホームステイ先ではフィリピン人の家族が迎え入れてくれました。私は直前までどんな家族か知らされておらず、てっきりカナダ人の家族だと思い込んでいたので、アジア人が玄関に来たとき、ふと日本にいた時に見たネットの記事を思い出しました。
「アジア人家族にお金を掏られました」
何度かこの類の記事を見たので、「あ、お金盗られるんだ」と勝手に身の危険を感じました。冷蔵庫には「学生を受け入れるときの報酬金」が書かれた表が貼られており、不信感は募るばかり(別になんてことはないのに)。おまけに喋り慣れていない英語での会話。着いた瞬間から疲れが爆発しそうでした。
「帰りたい」。
色んなことが初めてで、安心できる場所がなく、ただただ不安でした。
でも、家族は私が思っていたのとは正反対で、すごく良くしてくれました。ご飯も美味しくて、毎日3杯はおかわりしていました。ドライヤーを忘れた私に、もともと使っていたものを貸してくれ、家族は新しいものを買うからと言ってくれました。。日本で私の祖母が「1人でカナダに行って、、、」と心配で泣いていると聞き、そのことをホストファミリーに伝えると、一緒に泣いてくれたりもしました。
学校にも行きはじめ、カナダでの生活にも慣れてきたころ、帰り道に空を見上げました。小さな月でしたが、その時にこの歌を思い出しました。
「日本のみんなと同じ月を見ているんだな。どこにいても繋がってるんだな。よし、私はこっちで頑張ろう」
そんな気持ちにさせてくれました。
社会人になって忙しなく働いていても、月を見るとなぜか安心して、落ち着けます。
こんなことを書いていると、9月の十五夜にお月見をしたくなってきました。幼稚園以来です。今年は9月15日(日)だそうですね。
ぜひみんなでお月見をして、同じ月を同じ瞬間に見てみたいものですね。