有馬温泉で日帰り旅行 〜ありまやまゐなのささ原風ふけば〜【ゆり】

だいぶお久しぶりです・・・^^

転職後、仕事もなんとなく慣れてきて、転職してどうだったかシリーズの記事も書きたいなぁとは思いつつ。今回は先週いった有馬温泉の日帰り旅行紹介なんかしますね。笑

 

日帰り温泉旅行、意外にも満足度が高くておすすめです。特に今回は紅葉シーズンというのも良い。

有馬温泉ってけっこうお高いし、関西住みとしては近いから逆になかなか行かないけれど、そういう人にはもってこいですね。

 

古泉閣というなかなかよさそうな宿です。温泉+昼食で4000円くらいのプラン。

www.kosenkaku.com

 

12時に宿について、先にお風呂。

お風呂は時間によっては選べないけど、展望風呂と岩風呂を選べました。なんでも岩風呂は源泉掛け流しとか。そっちにも惹かれたけど、今回は展望風呂で。

お風呂へ移動する間も、紅葉がきれい。

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展望風呂は透明なお湯の内湯(たぶん温泉ではない?)と、半露天風呂のようになっている、金泉(有馬温泉といったらこれ、の褐色のお湯)の2種類。お客さんはちらほらはいたけど、そんなに混んでもなく快適でした。

ゆっくりお風呂に入って、13時半からは昼食へ。昼食は古泉閣の広大な敷地内にある、レストラン・ラ・フォンテーヌというところで。

どうやら敷地内にコテージもあるようで、その一帯にあるロッジのレストランでした。有馬温泉にコテージなんてあったんだね、、、有馬で夏のBBQとか楽しそう。

メインは4種類から選べて、かつごはんorパンも選べる。パンは自家製、ごはん・パンはおかわりOKでしたよ。

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デザートとコーヒーまでゆっくり堪能。なんだか遠出してきたような気分になれます。結局15時くらいまでいたかな。

そのあと有馬温泉周辺を散策しつつ、紅葉目当てに瑞宝寺公園まで足を伸ばしました。けっこう坂がきついです。なんとか頑張って到着w

瑞宝寺公園、初めてきたけど、けっこう紅葉の名所として知られているようですね。

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と、看板に、百人一首の文字発見。

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どうやら有馬にゆかりのある一首があるようですよ。

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ありま山 いなの篠原風吹けば

 いでそよ人をわすれやはする

大弐三位

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◆現代語訳

有馬山から、猪名の笹原に風が吹きおろすので、笹の葉がそよそよと鳴る、そうですよ。お忘れになったのはあなたの方、私はどうして忘れましょうか。

 

◆背景など

大弐三位紫式部の娘だと。大御所の子・・・

しばらく来なかった男から、「心変わりしていないか心配です」という手紙を受け取り、「あんたが来ないくせに何言ってるのよ」と応答した歌だそうです。

猪名は今の尼崎、伊丹あたりの一帯で、昔はこのあたりに笹が茂っていたらしい。その笹が風がふいて「そよそよ」いうのと、「そうよ、忘れたのはあなたよ」の「そうよ」をかけた歌だとか。

 

有馬から見える猪名、この先の市街地が、一帯笹畠だったのでしょうか。

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あの男いったいなんなのよ、的なぐちも、嫌味混じりの歌で表現していたんですね。笑

俳句や短歌は現代のTwitterて言われる意味もわかりますねぇ・・・w

では今回はこのへんで。

【しほ】映画「聲の形」を観て

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先日、友人と一緒にアニメ映画「聲の形」を観てきました。

同じアニメ映画の「君の名は。」が爆発的な大ヒットを記録していますが、

この聲の形も、公開25日で125万人を動員するほどの人気です。

友人と一緒に行ったのに、席が空いておらず別々で見るほどでした。

 

考えさせられる内容がギッシリ詰まっていて、

観終わってすぐは色んな感情が入れ混ざり、しばらく友人と感想を伝えたくてもどの言葉から話せば良いのか分からない気持ちになっていました。

簡単な言葉を、簡単に口にしてはいけないような、間がありました。

 

人間関係を通して自分の弱さと向き合い、もがく様を描いた内容。

耳の聞こえない女の子がある小学校に転校をしてきて、主人公の男の子とその周りの子がいじめてしまいます。そのいじめが問題になり、今度は男の子がいじめの対象に。

高校に入ってもトラウマで友達ができずにいる中、自分がいじめていた女の子とある病院で再会します。そこで2人の距離は縮まっていくのですが、いじめていた過去の出来事が再び男の子を襲います。それでも2人はその過去を、周りの色んな人を巻き込みながら必死に乗り越えようとする。。。そんなお話です。

(簡単に書きましたが実際はもっと重くて深いお話です。)

 

いじめていた自分、いじめられていた自分。そのどちらもが男の子を襲います。そのたびに弱さをさらけ出します。周りの人間も皆、弱い部分をぶつけ合い、互いに咎めあうシーンもありました。

映画では「いじめ」を核として物語が展開されていきますが、「いじめ」以外のことでも、自分自身に置き換えて観てしまいます。私はこの映画を観ながら自分が自分に対してふたをして隠そうとしていた「弱さ」に真正面から向き合わなければならなくなりました。それは、登場人物が全員、弱い部分を持っていたからだと思います。

物語中には「死」についても描かれています。自分の人生から逃れるために「死」を覚悟して、でもそれができずに「生」きて、もがき、苦しみ、少しの光を見つけていきます。

 

皆、自分の弱さをちゃんと受け入れて、認めて、変わろうとしていました。そんな風に考えながら観ていたので、ずっと正解のない答えを解いているかのような気持ちでした。混沌としていて、いつパズルが完成するのか分からない。

 

本当に考えさせられる映画なので、終わってからもずっと考えてしまうほどでした。色んな感情があって、整理するのにかなりの時間を要しました。自分自身と向き合うのにとっておきの映画だと思いますし、自分以外の社会に対しても、考えることはたくさんありました。

 

感想は十人十色だと思うので、どなたかと共有し合えたら嬉しいです。

以上、だいぶ無沙汰なブログでした。

内田樹『困難な結婚』− 自分の力で考えましょう。【ゆり】

内田樹著『困難な結婚』を読んだ。

小学生の「今月の目標」みたいな記事タイトルつけちゃったけど、すごくよかったので書く。

 

私自身が自他共に認める内田先生のファンである、という個人的な話は置いといて、普段は「これ、すごくいいんだけど、私の周りでこの話興味ありそうな人あんまりいないだろうなぁ・・・」という本もままあるのですが、この本は周りの人にも勧められる。

『結婚』というタイトルはついているけど、誰が読んでも”自分宛のメッセージ”を受け取ることができる本だと思います。 

 

困難な結婚

困難な結婚

 

 

結婚生活で小さな不満がある人、婚活で悩んでいる人はもちろん、転職や仕事に悩んでいる人、人間関係に疲れている人。

なんなら、悩んでなくても、「あーこう考えたらいいんだなー」と思えるお話がたくさんでした。

 

目次だけさらっと見ると、

・「もっといい人」は現れません

・結婚は誰としてもいい

・今より幸せになるために結婚してはいけません

 

とか、一部の女子にとっては「悟りの境地かな?」みたいなタイトルが並んでいるのですがw

これで「は?」とか思わないでね、野放しにポイっとされるわけじゃないので是非本論読んでほしい。

 

本文は、結婚やそれにまつわるお悩みに対して、内田先生が回答するQ&A形式。いろいろ紹介したいところはあるけれど、私がひとつ紹介するならこの部分。

 

P.41  

Q.「友人に、有名大学を出たものの、新卒で入った職場を辞めたあと、良い転職先に恵まれず、今は派遣社員として安い賃金で酷使され、異性との出会いもまったくないという人がいます。」

これに対する内田先生の回答、結婚の話からバンバン遠ざかっていくんですけど。

最初の職場を辞めてしまったのがどういう理由だったのか分かりませんけれど、そこにいささか問題がありそうな気がします。

仕事を辞めることについては、”こんなところに長く勤めていたら生きる力が衰えてしまうということが実感的に分かるなら”さっさと辞めたほうがいいと言っている先生。

だけど、”実感的に分かる”というのは意外なほど難しいと私は以前から思っていて、それをきれいに説明されているのが下記の部分。

「仕事がつらい」の「つらさ」には2種類あるとのこと。

ひとつは「それくらいのつらさは成長過程の自然」ということがわからなくて、せっかくの修行の場を立ち去ってしまう人。これは、たくさんいます。でも、「つらさ」の種類がわからない人にはもう一種類あります。それは、「ここは生きる力が衰微してゆくだけの職場だから、一刻も早く逃げ出したほうが良い」という生物としての直感を信じずに、意地になって仕事を辞めない人です。これも同じくらいたくさんいます。

前者はあるとしても、後者みたいな人、周りにいませんか。

修行の場だと勘違いして(自分に思い込ませて)自ら茨の道を選んでいくような、「この人、不幸専なのか?」って人が・・・。

私は仕事やめて初めて自分が後者だったように思うけど、内田先生的にいうと、そういう自分が出している信号に気付けない、「シグナルを読む力」が自分には足りていないように思う。体感的には、直感で感じたことに対して直感のままに受け止めずに、一度別の角度から考え直してみる癖が強すぎた傾向。他人の視点から見たらどうか?他の人にはどう思われているか?を過剰に気にしているとだんだんとシグナルが働く力が弱まっていくような気がしています。

自分を正常に稼動させるためにはまず自分を守らないといけないので、他人視点を気にしすぎていると当然なんだかよくわからないでたらめな行動になってしまう。

シグナル感度が低いと仕事はうまくいかないし、変な男(または女)に引っかかるし、SNSでずっと愚痴言ってたり、そのうち体壊したりするんだろうね。自戒を込めてw

話は戻って本論はその後、以下のように続きます。

相談してきたお友だちについて言うと、その人の問題は「葛藤しなかったこと」です。もっと真剣に悩むべきだった。これでいいんだろうかともっと悩むべきだった。

葛藤というのは本当にたいせつなんです。シンプルでわかりやすい解を求める人がたくさんいますけれど、「どういう仕事をするべきか」「誰と結婚すべきか」みたいな問いにシンプルな一般解なんかありません。そのつど唯一無二の特殊なケースなんですから、真剣に葛藤しないといけない。

当たり前だけど「自分でちゃんと考える」ことをいかにきちんとできるかということですよね。「ひとつの職場は最低3年いないといけない」論が幅をきかせるとか、大事な決定を下すのに占に課金する人とか、みんなシンプルでわかりやすい解を求めているからだよね。

自分で考えるってめっちゃ大変だし面倒だし難しいけど、いつまでも後回しにしているとけっこう大変なめにあってしまう。どうやって考えるかを学ぶために本読んだり人と話したりするんでしょうね。そしてその考えるプロセスで、自分自身の価値観がぼんやーりと見えてきて、そいういうことを積み重ねることでやっとちゃんとした大人になれるのかな。

また、「自分でよく考えて決断した」という自信があればそれを担保に、何か問題が起こってもできる限り前向きに解決の道を探していけるのかなぁと思います。自分で決めた以上、他人や環境のせいにはできないからね。

内田先生の本は、これを書くのに辿り着くまでに信じられないほど膨大なインプットがあったのだろうなぁと感動するし、自分が頑張っていろんなインプットしてるやつ、先生にたった数ページで全部結論書かれた、って感じがして最高。

というわけでこのQに対する内田先生のAは、

「もっと悩んでね」。以上。

 とのことでした。

皆さんにも読んでいただいて、感想言い合ったりしたい・▽・

【しほ】私がアパレル販売員だった頃の話

だいぶご無沙汰でございます。

私が書くのを1ヶ月も止めてしまっていました、、、すみません。。。

その間にゆりさんも転職し、新たなステージで頑張っておられるとのことです。

私も転職を考えている身なので、前回の記事は胸に刺さるものがありましたね、、、

 

何を書こう、何を書こうと随分悩んだのですが、

今回は私がアパレルの販売員をしていた頃のお話をしようと思います。

みなさんのアパレル販売員へのイメージが少しでも変わればと思い、この記事を書きます。

え、いつやってたの?と思われるかもしれませんが

私は社会人1年目の頃、会社の研修期間として実際にアパレルの現場にいました。

配属部署がアパレル系だったのですが、まさか自分がアパレル販売員だなんて

入社前日まで想像もしていなかったので驚きでした。

 

みなさん、アパレル販売員のイメージってどんなものですか?

 

私は「キラキラしている」「おしゃれ」「自分に自信がある人がするもの」「楽しそう」「めっちゃ話しかけてくる」など、勝手に想像していました。

中学、高校とバレーボール部のジャージに身をつつみ、休みの日の塾に行くときは私服を選ぶのが面倒だからと、わざわざ制服を着ていくほど、おしゃれとは縁遠いところで暮らしていた私にとって、上の人が配属を間違えたんじゃないかと思うほどでした。

いざ現場に入ると、想像していたものとは違う光景でした。

 

ギャップその① 意外と体育会系

 キャピキャピしてそうに見られがちですが、実はその真逆。(お店によると思います)敬語もそうですし、社会人としての基礎(報連相など)を徹底的に叩き込まれました。月1回は店長とミーティング。自分の成長のためにいつも課題を見つけ、どう改善していくか?を話し合いました。上下関係もキッチリしているので部活に戻ったみたいでした。お店によっては仲良く、、、というところもあるようですが、ここがキッチリしているところは売り上げも良く、お店としてまとまっているという印象を受けました。あとは一人ひとり、目標の予算額を渡されます。日々、自分は何円獲得したのか、あと日割りで何円取れば予算を達成するのかを計算していきます。なかなかシビアですよ~。

 

ギャップその② 体力との戦い

 販売員の足元を見てください。ヒールを履いていることが多いですよね。。。私も1店舗目のお店で15cmほどのヒールを履いていました。これが大変。毎日絆創膏は欠かせませんし、足の指の感覚が麻痺していました。触っても感覚がないのです。それすらも慣れていきました。慣れって怖いものですね。

足は痛いし、そのヒールを履いたままストックへ入りハシゴに登って商品を取る。忙しい時は店内を走り回ったりもありました。今の仕事はデスクにいることも多いので(営業に出ても電車で座れるし)平気で12時間くらいは仕事ができてしまうのですが(やりすぎ)、当時は8時間でもギリギリの戦いでした。

 

ギャップその③ お客様に話しかけるのは○○だから

 「良かったらお鏡で合わせてみてくださいね~」「このお洋服かわいいですよね~」「それ、今日入ってきた新作なんですよ~」「それ、すごい人気であと1点なんですよ~」

こんな言葉をかけられた経験は誰にでもあるはずです。そんなとき、大概みなさんは「うわ、来た販売員。うっとおしいな」と思うでしょう。私もそのうちの一人でした。「何で話しかけてもないのに来るん。もう出よう」となる人もいるでしょう。

販売員にもそれは重々分かっています。でも話しかけなきゃいけないんです。だって、お店(私たちが飾り付けした家)にせっかく足を運んでくれたお客様(ゲスト)ですもの。

こちら側の考えとしては、今ネットで服を変える時代に、わざわざお店まで来て服を買おうとしてくれている。それは販売員に何かを聞きたいからかもしれない。話をしたいからかもしれない。実際に服を見て、着て確認したいからなのかもしれない。

でも、それらの区別は話してみないと分からない。実際に話しかけずにクレームに繋がるケースもよくある(販売員が私に話しかけて来なかった~など)。

実際に販売員と話して、自分が思ってもみなかった服に出会うことがある。それはネットの世界では絶対にありえないことである。

だからみなさんも、販売員に話しかけられたときは「買わされる!」と思う前に「ゲストとして迎え入れてくれたんだなあ」と温かい気持ちで対応してあげてください(笑)

優秀な販売員なら、空気を読んでそれ以上は話さないでいてくれます。もし余裕があれば、販売員と話してみてください。自分の新たな一面を引き出してくれる販売員に出会うかもしれません。

 

一番最後が一番伝えたいメッセージでした。(笑)

みなさんの販売員に対するイメージが少しでも変わったらうれしいです。

エンジニアからライターへ − 年収200万ダウンの転職をキメた話【ゆり】

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8月末で新卒から5年5ヶ月勤めた会社を辞めることにしました。

9月から北新地にある広告代理店で編集・ライターとして働きます。

・・・編集ライターって言いたかっただけです。たぶん様々な雑用もやることになりますw

 

現職は業務SEとして要件定義〜保守運用まで、顧客との打ち合わせからプログラム開発、テスト、リリース、障害対応(またあるときは障害という名のクレーム対応)まで一連の作業を経験させてもらいました。

巨大な案件に入っていたため、5年5ヶ月の期間で経験PJは2つ、直近のPJには4年間いました。いつの間にかアラサーになっていた件。こわひ。

私の周りの大抵の人よりも働いていた自信があるのと(除く同期)、仕事終わりに深夜タクシーに乗ると、運転手さんに「この辺でこの時間になる若い人は久しぶりに見た」とのコメントをいただいたので、忙しい部類に入るとはいえ。

安定した大きな組織に属し、会社の業績は悪くなく、尊敬する人たちに囲まれ、それなりの(そしておそらく能力以上の)お給料をもらっていた環境を手放すことはなかなか不安ではあります。

自分がどういうところを重視して決断したのか、周りの反応はどうだったか、備忘録的に書いておこうと思います。また、転職を考えている人に少しでも役立てば。

 

1.やりたいことが見つかった気がした

過去記事にも記述の通り「編集・ライター養成講座」に通っていました。

次の募集もしているので貼っておく。

www.sendenkaigi.com

 

講座に通い始めたきっかけはこちら

shihoyuri24.hatenablog.com

 

毎回の授業が楽しみで、課題は大変ではあるものの実際に書いているときは楽しく、半年間があっという間でした。半年続けられたことで「おそらく書くことってやっぱり好きなんだろうなぁ」という気がしました。

"やりたいことを見つけた"って言えるほどかっこよくはありません。だけどたぶんこれは好きなことなんだろうなという確信は持ちました。

それから、やはりこの界隈で活躍している人が好きなのです。一度お会いしたいと思っていた人たちに、講座のおかげでお会いできて、飲みに行くことができました。中川淳一郎先生のような生き方をしたいし、ヨッピーさんのようなアツい男になりたい。(男?)

やりたいことを見つけるためには、少し興味を持ったことを可能な範囲でなるべく本格的に経験してみて(=時間とお金を費やしてみて)、それで自分の気持ちを確かめるのが良いのでしょうね。

もしそれでだめでも「これは違った」ということが分かるので、時間とお金は無駄ではないはず。

 

2.ライフプランを考えた

まがりなりにも女子ですので、実現したいライフプランを考えると現職の働き方を続けることは不可能と判断しました。ただし、働くママはうちの会社にも何名もいます。働ける環境も整っていると思います。だけど私の性格上、自分で言うのもなんですが0か1かの不器用な女ですので、自分がその働き方ができるとも、したいとも思えませんでした。

これはかなりワガママかもしれません・・・。だけど、仕事とプライベートを完全に分けるような働き方はおそらく私にはできないのだと思います。贅沢!まぁそうかもねぇ。。。次の職場でそれが実現できるの?というのは、実現することを目標にしている、というのが今の所言えることです。

 

3.出世について考えた

優秀な同期や後輩、また上司を見て、10年20年後に私はここで生きていけるのか?と空想しました。純粋に無理だ。という結論がでました。笑

 

4.年収は自分にとって最重要ではない

前述しましたがおそらく平均以上のお給料をもらっていました。ま、残業が多いからなんですけど。

時間さえあればお金のことはさほど考えずに海外旅行にいけるし、欲しいものは大抵我慢せずに買えるし(いや車とかは無理よさすがに)、ご飯を食べに行けば「ちょっといい方を頼んじゃおうかな」くらいのことはできます。関西で住みたい街NO.1かつ実家から徒歩10分という申し分ないところにも住めます。笑 独身だからってのもあるんですが。

だけどこの生活が必須かと言われると微妙です。

毎日遅くまで働き、土日もたまに出勤し、ストレス?で朝会社に行けなくなったり、お昼休憩の時間に楽しかった週末の動画を静かに再生して精神統一したり、1年に4回40度の熱を出したりしてでも今の生活水準を維持したいと思えないです。いってしまえばお金のために仕事を頑張れるタイプではないというか。

お金のためと考えれば割り切って辛い仕事も頑張れる、というのはある意味本当に才能で、正直自分とは全く違うタイプすぎて尊敬しています。私はそういう、割り切る、というのがとても苦手です。なので、親に迷惑かけずに生きていければいっかぁ。と。

多少ネガティブなことを書いてしまったけれど、ずっと激務が続くわけでもないし(暇なときは暇、そんなにはないけど)、社内ではこの環境の中自分のコンディションをうまく調整しながら適応できる人が大半なわけで、私の適応力が低かっただけだとは思います。

 

5.タイミング的に今だ(というかちょっと遅い)と思った

転職エージェント曰く、現職(IT業界)と全く別の業界に転職するのなら、30代になると格段にチャンスが減るとのこと。確かに求人広告を見ると応募資格が「29歳まで」というのは珍しくありません。なのでカキモノ界に入るならもう今いくしかないという気持ちでした。

業界を変える転職をしようかと思っている人は、やはり早い方がいいのだと思います。スタートが遅いと、目標を実現できる年齢も遅くなってくるので(無責任なコメントですが)。現職に止まった場合の5年後の自分と、転職後の5年後の自分を比較してみてください。転職する=現職に止まった場合に手にできるはずの未来を捨てること、ですので、そのへんも考えて行動してみていいんじゃないかなぁ。

 

6.最後まで迷ったのは、人

一緒に働く人については、次の職場については未知数です。対応してくれた方に好感を持ったのもありその会社に決めたのですが、全社員に会える訳ではないですし、一緒に仕事してみないと一人一人のことは分からないし、もうこれは半ば賭けではあります。笑

 

現職は本当にいい人たちばかりでした。

今まで仕事をしていて、「こいつ人として嫌いだ」と思った相手は一人もいません。

仕事のできる上司は私のような部下や他社パートナーなど下から好かれる人でした。いつも部下の私を危険から(笑)守ってくれていることはヒシヒシと感じていました(たまに違う方向にいったりもしたけれど)w。人として今の発言はどうなの?とか、その態度どうなの?とか思うことも一度もありませんでした。この人はこういう場で絶対このような発言はしない、というパターンは手に取るように分かるし、たぶんそれはお互いに信頼関係ができていたからだとは思います。

また、上司の上であるグループリーダーに至っては、退職の旨を初めて伝えた時、びっくりするくらい心配してくれました。今の仕事がどうとかいうレベルではなく、私の人生にとって本当にそれがいいのか?を長い時間かけて対話してくれました。知り合いの広告代理店の人に仕事について聞いてくれたり、「私に言っておきたいこと」を週末にたくさんメモしてきてくれて週明けにそれについて話し合いました。

・・・お父さんなのか!?

実際実の父親よりも心配してくれました。あの人のあのモチベーションはどこからくるのだろう。辞めようとしているやつに対してどうしてそんな神対応ができるのでしょうか。その方もまた、常に自分のポリシーを曲げずにやってきた方なのだと思います。本当に見習いたいです。

この、人環境については、最後まで「本当に手放してしまっていいのか?」を悩まされました。

とにかく「転職するけど手放さない」方向でいきたいと全力で思っています。皆様今後ともよろしくお願いいたします。

 

7.周りの人の反応は意外とポジティブ

転職するにあたり色んな人に相談しましたが、社内の上の人以外はみんな総じて「やってみれば?」と背中を押してくれる人たちばかりでした。たぶん「やってみたいことがある」という転職に対しては基本的に「いいんじゃない?」と返ってくるのかと思います。笑 あと、みんな私が無茶な働き方をしていたことを知っていたから。ただところどころ「このご時世に大きな組織を抜けるのはちょっと怖いけどねぇ」的な意見はありました。まぁ、ITはこれから伸びる業種でもあるしねぇ。

また、うちの両親は基本的に過保護過干渉なのですが、今回のことに関しては「まあいいんじゃない?」でした。ステータスにこだわりがちな母は「えー、もったいないなぁ」などとは言っていましたが。両親には確実に反対される(心配される)と踏んでいたので転職後に事後報告しようと思っていたのですが、第二のお父さんこと会社のグループリーダーに「両親にくらい相談しろ」と諭され話しました。

おそらく、受験・就職しガッツリ働き自立した子に対しては、両親としても「自分たちの仕事はだいたい終わった・・・フゥ。あとは早く結婚してくれ」くらいにしか思っていないので、学生の頃ほど色々言われたりしないのだと思います。

 年収下がるので今のうちに両親をごはんに連れて行ったり、近場ですが旅行に連れて行ったりしておきます。笑

 

 

以上が転職に関するアレコレでした。

果たして2ヶ月後あたり、どうなっているでしょうね。。。

しばらくしたらまた転職後記を書きたいと思います。そこで大失敗していたら盛大に笑ってくださいw

正直不安だらけですが、最終目標は自分の希望するライフスタイルの実現なので、長期目標を忘れずに頑張りたいと思います。

【しほ】最上のものは将来にある

「今、その道は曲がり角にきたの。

曲がった向こうに何があるかわからないけれど、きっと

すばらしい世界があるって信じているわ」

 

詩でも短歌でもないですが、、、私が好きな言葉をお伝えできればと思い、ブログを書かせて頂きます。

上記の言葉は、「赤毛のアン」の第38章「道の曲がり角」でアンが言った言葉です。

私はちょうど2年前、朝ドラで「花子とアン」を見ていた時に赤毛のアンの世界に魅了されました。

 

当時私は社会人1年目。それまで楽に過ごしてきた大学時代とは違い、仕事、仕事の毎日。気を張って毎日を送っていたり、うまくいかないことが多くて落ち込んだりして、悩むことも多い時期でした。そんな時にこの言葉を耳にし、未来に対して希望を持ち、頑張り続けることができました。

私は今、まさに一つの曲がり角にさしかかろうとしています。

楽しいお盆休みが明け、その間に溜っていた仕事を片付けるので精一杯の日々。今までの仕事の範囲でもパンパンだったのですが、さらに新しい仕事が増えキャパオーバー。突発的なことがたくさん舞い込んできて、今は仕事人生最大のピンチを迎えています。頼まれ事にも前向きに取り組むことができていない現状です。私は自分の思うように物事が進まないとき、かなりネガティブになります。そうなると、私の頭の中は負の言葉で埋め尽くされていきます

苦しいときが成長のときだとよく言いますが、「何のために成長するんだろう、成長しなくても生きていける。成長する意味あるのかな」と考えてしまうほどです。

そんな時にこの言葉を思い出すと、すっと心が軽くなります。絶対良いことが待っていると言い聞かせています。

上司からはこんな言葉を頂きました。

「どんなに大変なことがあっても死なへんから大丈夫や」

確かにどんな失敗でも、それで命を落としたことはないな~と。自然と何とかなるもんやな~と。ありがたいお言葉でした。

人生の転機で曲がり角にいる人も、ぜひ自分の未来を信じて突き進んでください。

 

今回は自分に対するエールも込めて書きました。

お読み頂きありがとうございました。

【ゆり】みかきもり 衛士の焼火の 夜はもえ

伊勢へ行ってきました。

 

メインは伊勢神宮

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宇治橋の入り口

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正宮。ここより先は撮影NGというギリギリの場所。

 

本当は外宮→内宮の順でお参りするものらしいですが、午前中鳥羽水族館でアシカやラッコを見てはしゃいでいたため時間もなく、午後から内宮に。

 

敷地は広大で、五十鈴川にかかる宇治橋を渡り参拝に向かいます。

樹齢何年なのかと思うほど太い幹の木々が佇んでいて、炎天下での参拝になりましたが、木陰にさしかかるとふと涼しくなるのが印象的です。

神社で良く見る鮮やかな朱色を目にすることはなく、木製の橋や鳥居が木々の緑に溶け込むように静かに鎮座していました。

 

伊勢神宮に関連する歌ってあるのでしょうか?

神社そのものを引用するような歌はないようですね。

なのでこれはいかがでしょう。

 

■歌と歌人

四九番

「みかきもり 衛士(えじ)の焼火(たくひ)の 夜はもえ 

 昼は消つつ ものをこそおもへ」

大中臣能宣(921 - 991年)

 

■現代語訳

『みかきもりである衛士のたく火が夜は燃えて昼は消えているように、恋に悩む私も、夜は燃え昼は消え入るばかりの毎日で、もの思いに沈んでいるのです。』

- 『新版百人一首』島津忠夫 より

 

大中臣能宣という人は伊勢神宮の祭主であった人だそうです。

祭主というのは伊勢神宮だけに置かれている役職で、神職の長にあたる役です。このころは大中臣の世襲だったようですが、明治維新後は皇族が親任されているとか。

 

とりあえず、家柄がめっちゃいい人。ですね?

 

そんな大中臣が描いた情景って一体どんなものだったのでしょうか。

 

■現代語訳の意味

「みかきもりである衛士のたく火が夜は燃えて昼は消えているように、恋に悩む私も夜は燃え昼は消え入るばかりの毎日で、もの思いに沈んでいるのです。」

みかきもりは宮中の門を警護する人のこと。衛士は交代で諸国から召集される兵士のこと。兵士たちはかがり火を焚いて夜を守りますが、「たく火」はそのかがり火のことです。

かがり火は夜は燃えて昼は消えているのと同様に、夜は恋心を燃やし、昼は意気消沈している、と歌った歌のようです。

 

・・・激しめな恋の歌。もはや恋煩いの歌、ですね。

 

平安時代はきっとあかりも十分でなく、暗闇に浮かび上がるかがり火はきっと幻想的だったのでしょう。

 

■本当に伊勢神宮の祭主大中臣能宣が詠んだ歌か?

えっ。ここまで伊勢神宮で引っ張ってきて違うの?

どうやら色々と疑惑があるようです。

まず、「能宣集」に載っていない。大中臣能宣の歌集を編成するのに、これだけの良作が載らないのは不自然なことのようです。

また、立教大学文学部名誉教授である井上宗雄氏いわく、「能宣の歌には、理づめな観念的なものが多いが、これは際立って優れた歌である。その意味でも作者が能宣であるかどうか問題が残る」とけっこうボロクソな評価。

そのような経緯から「作者はおそらく別の人」であることが定説の模様。さようでしたか。

 

それにしても理づめで観念的なものってどんなのでしょうね。

ちょっと能宣の歌も調べてみたくなりました。

 

 

おわり。