【ゆり】みかきもり 衛士の焼火の 夜はもえ

伊勢へ行ってきました。

 

メインは伊勢神宮

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宇治橋の入り口

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正宮。ここより先は撮影NGというギリギリの場所。

 

本当は外宮→内宮の順でお参りするものらしいですが、午前中鳥羽水族館でアシカやラッコを見てはしゃいでいたため時間もなく、午後から内宮に。

 

敷地は広大で、五十鈴川にかかる宇治橋を渡り参拝に向かいます。

樹齢何年なのかと思うほど太い幹の木々が佇んでいて、炎天下での参拝になりましたが、木陰にさしかかるとふと涼しくなるのが印象的です。

神社で良く見る鮮やかな朱色を目にすることはなく、木製の橋や鳥居が木々の緑に溶け込むように静かに鎮座していました。

 

伊勢神宮に関連する歌ってあるのでしょうか?

神社そのものを引用するような歌はないようですね。

なのでこれはいかがでしょう。

 

■歌と歌人

四九番

「みかきもり 衛士(えじ)の焼火(たくひ)の 夜はもえ 

 昼は消つつ ものをこそおもへ」

大中臣能宣(921 - 991年)

 

■現代語訳

『みかきもりである衛士のたく火が夜は燃えて昼は消えているように、恋に悩む私も、夜は燃え昼は消え入るばかりの毎日で、もの思いに沈んでいるのです。』

- 『新版百人一首』島津忠夫 より

 

大中臣能宣という人は伊勢神宮の祭主であった人だそうです。

祭主というのは伊勢神宮だけに置かれている役職で、神職の長にあたる役です。このころは大中臣の世襲だったようですが、明治維新後は皇族が親任されているとか。

 

とりあえず、家柄がめっちゃいい人。ですね?

 

そんな大中臣が描いた情景って一体どんなものだったのでしょうか。

 

■現代語訳の意味

「みかきもりである衛士のたく火が夜は燃えて昼は消えているように、恋に悩む私も夜は燃え昼は消え入るばかりの毎日で、もの思いに沈んでいるのです。」

みかきもりは宮中の門を警護する人のこと。衛士は交代で諸国から召集される兵士のこと。兵士たちはかがり火を焚いて夜を守りますが、「たく火」はそのかがり火のことです。

かがり火は夜は燃えて昼は消えているのと同様に、夜は恋心を燃やし、昼は意気消沈している、と歌った歌のようです。

 

・・・激しめな恋の歌。もはや恋煩いの歌、ですね。

 

平安時代はきっとあかりも十分でなく、暗闇に浮かび上がるかがり火はきっと幻想的だったのでしょう。

 

■本当に伊勢神宮の祭主大中臣能宣が詠んだ歌か?

えっ。ここまで伊勢神宮で引っ張ってきて違うの?

どうやら色々と疑惑があるようです。

まず、「能宣集」に載っていない。大中臣能宣の歌集を編成するのに、これだけの良作が載らないのは不自然なことのようです。

また、立教大学文学部名誉教授である井上宗雄氏いわく、「能宣の歌には、理づめな観念的なものが多いが、これは際立って優れた歌である。その意味でも作者が能宣であるかどうか問題が残る」とけっこうボロクソな評価。

そのような経緯から「作者はおそらく別の人」であることが定説の模様。さようでしたか。

 

それにしても理づめで観念的なものってどんなのでしょうね。

ちょっと能宣の歌も調べてみたくなりました。

 

 

おわり。